2014/02/13

1994年 秋

来月の3月31日、ちょうど私の父の誕生日、アメリカのロックアーティスト、ボブディランが来日する。私はボブ ディランには特別な思い出がある。

1994年、秋。
小さな判の捺された手紙が届いた。
それは、シャバの世界から隔離された、自由を奪われた世界から送られてきた印。
同じ空の下、しかし自由を奪われた世界。
大きな失敗を犯した男から送られてきたものだった。
内容はあまり覚えていないが、頼みごとが一つ書かれてあった事だけは忘れられない。
「ラジオから流れてきた曲の歌詞が知りたい。」
そこに書かれていた曲名は、ロックの神様と崇められているボブ ディランの名曲
「Like a Rolling Stone」だった。
当時の私はボブ ディランの名前こそは知っていたが、その曲もボブ ディランすら聴いたことが無かった。
さっそく私はCDショップに出向き、日本語訳が付いている日本版のベストを買った。
その詩は上流階級の女の転落を通じて、虚飾に満ちた生き方からの脱却を説く、そんな歌詞だった。

その歌詞を読んだとき、彼の心に重く圧し掛かる絶望という重圧が少しだけ分かった気になった。パクられたこともない私には、想像は出来ても到底彼の気持ちを理解する事なんて不可能だった。
もっと勇気づけられる歌詞だったら良かったのに。
理解の出来ない私は、きれい事のようにそう思った。
その歌詞を手紙に写し、思いつくかぎりの励ましの文章と、その時頭によぎったブルーハーツの歌詞を書き加えて、手紙を投かんした。

それが私とボブ ディランとの出会いだった。
それから私にとってボブ ディランは人生をも左右する存在になった。

過去というものは人それぞれの思い出と過ぎた時が混ざり合い、心の中に深く刻み込まれている。
月日と共にその思い出も薄れ、普段は思い返すことも無く日々の生活に追われているが、けして忘れたわけではない。

私は今でもこの曲が聞こえてくる度に、もう二度と受け取りたくない手紙と共に

1994年の秋の日にフラッシュバックする。



2014/01/31

嫌われる勇気

家に帰ると、相変わらずネットもテレビもラジオも無い生活を継続中。
寝る前の楽しみと言えばDVD観るか、本を読むかの二択。

とくに観たい映画もない夜に、暇つぶしにあるTVドラマを観た。そのドラマは小説が原作で、原作を読んだことはなかったが、その小説家の作品がわりと好きなのと、好きな役者が出ているという理由からだった。後から原作も読むことになったのだが、その物語の中で私は「アドラー心理学」といわれるものに出会った。今まで心理学や哲学に、まったく興味がなかったわけじゃないけど、心理学者や哲学者には興味がなかったし、そういった本を読みたいと思ったこともなかった。
アドラー心理学を知った今でも、これ以上学びたいとは思わないし、他を深く知りたいとも思わない。
ただ、なぜだか頭の中に潜在してしまった「アドラー心理学」と呼ばれるもの。
出合ったものを無理に拒絶する必要も理由もないので、先ずはネットで調べてみたが、小難しい文章ばかりでよく解らない。
調べているうちに、たどり着いたのが「嫌われる勇気」という過激なタイトルの本。私は「アドラー心理学」以上にこのタイトルに興味が沸いてきた。

早速購入して読んでみると、小説のように哲学者と若者の対話仕立てにして「アドラー心理学」を解りやすく説いた本だった。
そこに書いてある「アドラー心理学」というものは、けっして受け入れやすい考えではないが、その考えは間違いなくポジティブ。もしかすると受け入れにくい心がネガティブなのかも。

最近、ちょっとした出来事があった。気にもしていないつもりだったけど、心の端っこに引っかかっていたのが事実。そんな出来事を「アドラー心理学」はとてもシンプルに解決してくれた。気にしていないようにしている私に、「気にしなくてよい」と
その理由を説明してくれた。

もしかすると、出会うべき時に出合った一冊なのかもしれない。

もしかすると、出会うべき時に出合ったドラマ、小説なのかもしれない。

普段なら間違いなく興味も、関心も沸かないところから偶然出合ったのだから。

人や物事との出会いは、自分の気持ちや行動次第で偶然が必然に変わるのかも。
そんな気持ちでいると、同じような毎日が、まったく違った一日に見えてきた。